Get Over 3






「真田じゃねーか」

合宿一日目。現地に着くなり、真田に声をかけた男がいた。

「跡部…」

跡部は相変わらずの顔で、背後には樺地をつけていた。

そして隣には忍足がいる。

跡部は真田の姿を下から上までサッと流しながら、何か言いたそうな笑みをこぼす。

「何か用か?何もなければ、失礼するが……」

真田は気にすることもなく、そう言うと、立ち去ろうとしたが。

「今回はお前ひとりだけか?」

「それが?」

跡部は別に。と返事すると三人は共にその場から去っていった。

真田は少しだけ、跡部のその言葉が気になったが、胸の奥にしまい込んだ。

「あれー真田くんじゃない。久しぶりだね」

少し歩くとまたまた、声をかけてきた男。オレンジ色の髪をした、ラッキーこと千石だった。

「Jr.選抜以来か…」

「そういえば、柳くんのこと残念だったね。抽選漏れなんだって」

千石はいつもの口調で話しかけてくる。

本当に残念と思っているのか怪しいところだが、何故か、情報だけは早い。

「そうそう、さっき委員会の人の話を聞いたんだけど、部屋割りがすごいんだよ」

千石は息もつかずに、しゃべり続ける。相変わらずのおしゃべりだ。と真田は思った。

「確かね…俺は真田くんと別だったような気がするなぁ〜。どうだったっけかな?」

千石は頭をひねりながら、うんうん、とブツブツとつぶやいた。

真田は部屋割りなど、どうでもいいと正直思った。

前回と一緒で学校別での組み合わせだろうが、目の前の男とだけは勘弁したいと、思った。

「あ、思い出したよ。氷帝と立海と一緒だよ」

真田はそれを聞いた瞬間、跡部のさっきの言葉が再び、脳裏に浮かんだ。


――今回はお前ひとりか――


その言葉にどんな意味があるのか、真田にはわからなかったが、

柳がいるのといないのでは大分印象が違うのだろうか。ふと、そんなことを考えたりした。


それから、三日経った。

部室に残っていた、柳の携帯が静かに音をたてた。

画面を見ると、真田の名が記載されていた。柳は迷いもなく、電話に出た。

『蓮二か。今、時間は平気か?』

 電話の向こう側から、真田の声が響く。

「あぁ、もう部活は終わって、これから帰るところだ。お前の方こそ、平気なのか?」

 柳の心は躍る。真田の声を聞くだけでも、気分が高ぶりを感じた。

『今は休憩時間だからな。お前の声が聴きたくなった…』

 その言葉の語尾が段々小さくなる…それは真田が照れいるという表れ。

柳は照れている真田を思い浮かべながら、くすっと笑みをこぼした。

 そして――

「俺もだ…」

と、つぶやいた。

 しばらく、真田と柳は雑談を交わす。

夢中になっていたのか、ドアに立つ人物に気がつくことはなかった。

『また夜に電話する、蓮二』

「あぁ、お前こそ…がんばれ。弦一郎」

 柳は至福の時間を心に満たしながら、電話を切った。

「弦一郎……会いたい……」

 携帯を握り締めながら、柳は一人静かに、つぶやいた。

カタンッ

 その音に柳は振り向いた。

「…柳…先輩」

 ドアの前に赤也が立ち尽くしていた。

「赤也…お前…帰ったんじゃ……」

 いつから、いたのか。柳は冷静を装いながら、そう、言った。

真田と柳の仲を知る者は一応、幸村のみだった。仁王辺りは気付いるようだ。

「…忘れ物っス…」

「そうか…」

 そこまで言うと、二人の間に永い沈黙が流れる。

空気が重い。

 柳は携帯を握り締めながら、未だ、脳裏に横切る幸村の言葉を思い出す。


――――大丈夫だ――――


 柳は呪文のように、同じ言葉を心の中で唱えていた。気持ちを紛らわせるように…。

「柳…先輩…」

 赤也が声をかけた。少し、大人しめな声。柳はそれに反応して、体を強張らせた。

「今の…副部長からっスか?」

 赤也の表情は固い。思いつめているような顔。普段では見ない表情だった。

「…あぁ。それよりも、俺はもう…帰るが……」

 柳はその重い空気に耐え切れず、テニスバッグを手に部室を出ようと赤也の横を通る…。

グイッ

 柳の体が引っ張られた。手に持っていたテニスバッグが音を立てて、落ちた。

柳は赤也に抱きしめられていた。

「…赤也…?」

 大体、赤也の顔の横に柳の顔がいる形。

「…どうして……」

「え?」

 困惑する柳を他所に、抱きしめる赤也の腕に力がこもる。

「…先輩……俺じゃ駄目なんっスか…?俺……先輩が――…」

 その赤也の言葉に柳の体に電気が流れた。

――逃げないと――――

 そう、思った。ほとんど、直感的に。本能的に…。

「やめろっ!赤也っ!」

 そのまま、赤也の腕を振り払い、下に転がっているテニスバッグを手に取ると、部室を駆け出た。

 外は雨が降っていた。いつの間にか振り出している雨。

ザァーザァーと暗い雨音が静かに響く。

「先輩っ!!」

赤也の声が雨の音とかぶって、聞こえなくなった。

柳はそのまま、傘も差さずに、走り去った。雨はただ、静かに憂いだけを満たしていた。


ザァァァァァ

赤也は、雨の中立ち尽くしていた。時折、空を見上げては、顔を雨に打ちつける。

「…柳…先輩……」

赤也の頬から、雨とともに、雫が零れ落ちた。


柳は、降りしきる雨の走っていた。ただ、夢中で赤也から逃げるように…。

駅に着いた柳は雨を掃うことなく、立ち止まった。瞳の奥は彼方遠くを見つめていた。


――赤也――


柳は静かに自分の体を抱きしめた。冷えた身体。それ以上に震えた身体。

ショックだった。可愛い後輩が自分にあんな感情を持っていたとは…。

だた、今はこの身体に残る赤也の温もりを消したかった。

雨は何も知らずに、一定の音を立てて、降り注いでいた…。



その夜。

合宿に行った真田は部屋の窓の側にある椅子に腰掛け、携帯を鳴らしていた。

ディスプレイには『柳蓮二』の名が刻まれていた。

真田は氷帝の跡部、樺地、忍足。そして、何故か、六角中の佐伯と黒羽が同室だった。

その部屋はそんなに広くはないが、和室であった。

和室と窓の側にある椅子とテーブルの境には障子があり、

部屋の向こう側では数人、すでに深い眠りに入っている。

「………」

携帯の音は無音。しかし、今日に限って柳からの応答はなかった。

合宿に行く前に、柳と約束をしていた。


――毎日、電話をする――

――
そう、言った。昨日は柳はちゃんと出た。

その前も…。今日に限って出ない。真田の心に一抹の不安が横切った。

「蓮二…」

真田は誰も出ない携帯のディスプレイの名前を見つめながら、

動くことが出来ない、自分を忌々しいと思った。

「そんなに心配なら、行けばいいだろう?」

跡部が障子を開けて、真田の前に現れた。

出来ることなら…やっている。

真田は、そう言いそうになったが、果たして、本当に出来るのかどうか自信がなかった。

そんな真田の心を見透かしたように笑みを浮かべる跡部。

「跡部、すまないが一人にしてくれないか?」

真田は半分ご機嫌斜めだった。柳に何かがあったのか、という不安と動けない自分。

すべてを知っているかのような跡部の物言いに、真田は苛立ち始めた。

跡部ははぁ〜とため息をつくと、呆れ顔で真田を見た。

「お前、本当にアイツのこと大事なのか?」

「当たり前だ」

その跡部の言葉に真田は即答した。

「なら、なんで、てめぇはここにいるんだ?」

「蓮二が望んだからだ」

そう、柳がもっと強くなって欲しいと望んだから。

逆に行くなと言われたら、行かなかった。

「あぁ、そうかよ。相変わらず、おめでたい奴だ。一番危険なヤツを野放しにしちまいやがって」

「跡部…一体何のことだ?」

その跡部の言葉に真田は理解できずにいた。

一体何のことをいっているのだろうか。跡部はまたまた、深いため息を吐くと、障子に手をかける。

「てめぇで考えろっ!」

跡部は怒鳴るように、その場から去っていった。


真田は、携帯を握り締めた手で再び、電話をかけた。

『柳蓮二』

ディスプレイにはその名が静かに浮かぶ。

それでも、電話には応答がなかった。真田はそれを見つめながら、静かにつぶやいた。

――――蓮二――
――
と…。



同じ頃、柳は何をするでもなく、ただ、布団の上に寝そべって一点を見つめていた。

雨で濡れた身体はすでにお風呂で温まっている。

テニスバッグも拭いて、乾かしている。頭の中には赤也のこと。


――――赤也に気をつけるんだよ――――


再び、あの幸村の言葉と赤也の顔が交互に浮かんでは消えていく…。

幸村が言った言葉はこういうことだったのか。キュッと柳は唇をかみしめる。

大切な後輩からの…告白ともいえる言葉。


『俺じゃ…駄目っスか…?』


静かにささやきかける様な…声で。その時、携帯が鳴った。

ゆっくりめの着信音が部屋を満たす。出なくてもわかる。

昨日も同じ時間にかかってきた。そして、その前も…。

真田から――。

柳は無意識のうちに携帯にかかる手を寸前で止めた。

――出れるわけがない――
――
このまま、電話を取れば、間違いなく泣いてしまう。

真田の声を聞けば、会いたくなってしまう。

抱きしめて欲しいとわがままをいうかも知れない。

戻ってきてくれと、口を滑らせてしまうかもしれない。

抑えている心が弾け飛びそうだった。

ただ、この身体に残る赤也の温もりを消してしまいたかった。

柳はただ、それだけを望んだ。

可愛い後輩…なだけに…どうしたらいいのか。わからなかった。

「弦一郎」

柳は身体を丸め、真田を想い浮かべながら、その身を抱きしめた。

携帯の着信音は途切れることなく、鳴り響いていた。

もう少し…がまんすれば、いいこと――

すべては…愛しい人の未来のため。柳の頬に冷たいものが流れた…。


同時刻――。

切原赤也は近くのストリートコートで一人、壁打ちをしていた。

雨はすでに止んでいたが空気は冷たい。

本来なら、中学生が遅くまで外にいる時間ではない。それでも赤也はやめようとしない。

ひたすら、帰ってくるボールを壁に叩きつけているだけだった。

「先輩…」

自分の腕の中からすり抜けた、愛しい先輩。

その時の凍りついた柳の表情が映し出される。


――――あんな…表情するからっス…よ――――


真田からの電話を取る柳。今まで見たことのない顔。

そして…真田を愛しく思い出す柳の苦しげな表情。

赤也は…無償に、この手にかの人を抱きしめたくなった。

赤也は不意に打ち返す手を緩めた。

ボールは無常にも足元に転がる。

尊敬している先輩。真田副部長と柳先輩。

そのプレイに魅せられて、同じ立海へと来た。

その時から、二人は仲がよかった。

同じくらい尊敬してたから、二人の仲のよさは微笑ましかった。

二人に認められたくて、努力を重ねていた自分がいつしか、二人を越えたいと願うようになった。

そして、…柳に対するほのかな想いを抱いていることも、知った。

それと同時に真田と柳の関係にも気付き始めた。

「真田副部長……早く帰ってきてくださいよ…」

赤也は暗闇に浮かぶ月に視線を飛ばすと、一人、つぶやいた。


――俺……抑えられないっスよ――


一向に収まらない欲情に赤也は苦笑いをこぼした。

隠し通してきた想い。抱いてはいけないと思うたびに膨らむ感情。

尊敬している人だけに…迷う心。

柳にはすでに真田がいるという事実。

それでも…踊りだした感情は抑えられずにはいられなった。





つづく